「牡丹江高等女学校の終戦」
7月4・5日 ラジオ深夜便 明日へのことばを聞いて。
キム・アンナさん (ロスアンゼルス日系命の電話担当)
枕元につけっぱなしで寝込んでしまった私は、耳元の女性の声に目を覚ました。
その言葉は説明がなければ、とても韓国の人とは思えない流暢な日本語だった。
彼女は終戦まで中国東北部にある牡丹江高等女学校に在席していた。
終戦と同時にクラスメイトたちとも別れ別れになり、彼女は母国である韓国へ帰国、数年後もう一度、朝鮮戦争に遭遇する。誰が味方で、誰が敵なのか分からない恐ろしい体験をしたという。
1950年の南北戦争は目の前で恐ろしさを経験したと・・・。
1969年朝日新聞の広告欄で「牡丹江高等女学校同窓会」を知り来日、以後同窓会には必ず来日する。
現在ロスアンゼルスで日系人女性の命の電話相談にあたっている。
日本人の国民性・習慣・考え方をよく知っている彼女は、異国で苦しむ日本人女性のよき相談役として活躍、
毎年六月六日に行われる「牡丹江高等女学校同窓会」に今年も来日、その折のインタビュウを聞かせてもらった。
素晴らしい女性の話に心が満たされた夜明け前のひと時だった。
キム・アンナさん (ロスアンゼルス日系命の電話担当)
枕元につけっぱなしで寝込んでしまった私は、耳元の女性の声に目を覚ました。
その言葉は説明がなければ、とても韓国の人とは思えない流暢な日本語だった。
彼女は終戦まで中国東北部にある牡丹江高等女学校に在席していた。
終戦と同時にクラスメイトたちとも別れ別れになり、彼女は母国である韓国へ帰国、数年後もう一度、朝鮮戦争に遭遇する。誰が味方で、誰が敵なのか分からない恐ろしい体験をしたという。
1950年の南北戦争は目の前で恐ろしさを経験したと・・・。
1969年朝日新聞の広告欄で「牡丹江高等女学校同窓会」を知り来日、以後同窓会には必ず来日する。
現在ロスアンゼルスで日系人女性の命の電話相談にあたっている。
日本人の国民性・習慣・考え方をよく知っている彼女は、異国で苦しむ日本人女性のよき相談役として活躍、
毎年六月六日に行われる「牡丹江高等女学校同窓会」に今年も来日、その折のインタビュウを聞かせてもらった。
素晴らしい女性の話に心が満たされた夜明け前のひと時だった。
by hiroseyoko2000 | 2010-07-05 18:03 | つれづれ